(今の自分も含めて)社会に普通に生きていて哲学書を読むのが難しいのは問題意識が共有できないからだと思う。例えば世界の成り立ちや知識の正当性について真剣に解くべき問題として考えることができるだろうか?
大学の哲学研究室などの専門機関に属していると、そうした問題が真剣に扱われている議論の場に身を置くことになる。自動的に問題意識を共有することができて、哲学書がまさに今読むべきものとして感じられるようになる。
あと論文を書く必要があるので哲学書が直近で実用的なものになってくる。今の自分にとってのプログラミング関係のドキュメントがそれに当たる。(仕事していなくても移動中とか暇な時すら読んだりするし)
ということをVRChatのプロフィールに
Die Welt ist meine Vorstellung. (世界は私の表象である)
という一節を引用するためにショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を久しぶりに引っ張り出してきて思った。(洒落臭いけどうってつけじゃない?)